2014年6月

2014-06-09
「64回目」

昨日が64回目の誕生日だった。
何十代だったかはわからないが、自分の目から見た64歳はかなりの爺さんだった気がするのだが。

晩飯は「家族で自宅で」とお達しがあったので仕事を切り上げて8時過ぎに帰宅。 腹を空かせて待っていてくれた家族諸君!ありがとう。
娘からのメッセージカードを写真でここに載せたいのだがやめておく。
だが文面は書いておきたい。

「パパお誕生日おめでとう。いつも沢山の愛をありがとう!良き理解者でいてくれて感謝でいっぱいです。これからもよろしくね。いつまでもかっこいい父でいてね。」

プレゼントと共にこのカードを目にしたのだが、その場ではゆっくり目にすることが出来なかった。 なぜ? 娘の隣に笑顔の彼氏(たら)が座っているからだ。うかつに涙等を見せるわけにはいかぬ! (わしはきっと、娘のカードを読んだら泣いてしまうような気がしたから)
思えば子供のころ、誕生日など祝ってもらえたことはなかった。
一言、「誕生日おめでとう」といってほしくて仕事から帰ってくる母を家の外でずっと待っていた光景をなぜか鮮明に覚えている。
卵焼きでいいから…そう思っていたこともなぜか覚えている。
こんな話をすると 娘はきっと鼻を赤くする。

仕事から帰ってきた息子は、ぶっきらぼうに「おめでとう」と言った。これはこれでいいのだ。 昨日は日曜だったから、今日社員がケーキで祝ってくれた。



書き物仕事をしていたのに急に部屋の電気が消え、「なんだ!仕事しているのに!」と思った瞬間「ハッピーバースデー」 の歌が…
♪前夜は飲み過ぎ。 ♪ケーキは全員で食べた。
歩いてきた道のり、これからの道のり、さまざまな時間を思う。
だが、決して失敗の人生だった、などとは思わない「これから」を生きたい!
そんな思いを重ねる64回目の通過点でもあった 6月8日。


2014-06-07
「ウンのつき?」

旅に出かけると、いつものことだが便秘気味になる。牛乳で調整をするのが習慣だ。 海外では、購入する牛乳によって効果が絶大なこともあるが。

昨日中国では初めての街に出かけた。出かける前、習慣のようにホテルで牛乳を飲み、雨の中、ホテルで傘を借り、リュックを背おって宿泊先から車で1時間30分ほどの街に出かけた。
さて、到着して間もなく、トイレを探そうかな…という気分に。見回しても、喫茶店のような都合のよい店はありそうもなく…。 すると大きな病院が目に入った。何とか医科大学付属病院とあった。 何棟かあったので、一番人混みのしている棟を目指した。入口にには「問診部」とあったと思う。

トイレはすぐにわかった。「やった!」てな感じ。
病院のトイレだから綺麗なはずだ、と期待したのだが、覗くとそうでもなさそう。上下隙間のあるドアがついた大便所が3 か所あった。 一番手前は先客がいるようだったので真ん中を覗いた。いわゆる和式風便器。汚い…… 一番奥がすごい音がしていたので覗いてみたら、水洗のバーが壊れているらしく、水が勢いよく流れたままだ。 流れているからいいか、しっかり水洗している感じだし、とドアがなかなか閉まらなかったのだがそこに決めた。

さて、それぞれは流れの中にすぐに消え、これはこれでいい感じだった。
さて、慣れない姿勢なものだから、背中にあるリュックサックも傘も邪魔だなぁとのんきに満足感を覚えていたら、 トイレットペーパーがなく、さらに紙を流せないことに気付く。
仕方がない、リュックの中から紙を取り出すか…ということで無様な格好でリュックを背中から外した。その時!

「ドボン」というような音がしたと思う。

ゴーという感じの流れの中にズボンからつながっている紐のようなものが見える。 音の主は流れの中に消えた「携帯電話」だと気付くのに時間はいらなかった。 無様な格好のまま、紐を引く。流れが速いから無理をすれば切れてしまう。水の勢いが強いので 流れゆく先の状態が分からない。そこで、手を突っ込んだ。後ろ前が分からない便器だが、流れゆく穴は目の前。
あった!ベルトを抜けてケースごと落ちたから引っかかっている。 だが水の流れが強いからなかなか抜けない。
焦るな焦るな、俺!ってな感じだ。 < かなり焦ったが >。

誰かに助けを求めるわけにもいかないから、少しばかり狼狽しながら何もなかったような顔をしてトイレを後にした。 ホテルには無事帰還。
だが、携帯電話は少しづつ少しづつ変調をはじめやがてダウン。
トイレでのあの様子を他人が見たら…面白いだろうな、ドッキリカメラのようで。 しかし、病院のトイレぐらい清潔を心掛けてほしいものだ。ほかにもいろいろあったが、今回の旅は このネタに尽きるきがする。
さて、これでウンのつきとなったのか、ウンがついた、となったのか(笑)


2014年5月

2014-05-20
「ブッキング」

今制作中の宝塚100周年関連の番組で、どうしてもインタビューコメントの欲しい方の一人が「浜木綿子」さんだった。
スタッフが事務所に何度連絡をとっても電話がつながらない……
「つながりません」の報告の連続で何週間も過ぎてしまった。ので、その作業を引き取った。

「どうしてもこの人が欲しい!という想いと愛情が足りない!」とかなんとか言いながら、さてどうしたものかと…。 で、つながらない事務所あてに手紙を書くことにした。で、手紙を書いた。 想いと愛を込めて。 想いと愛と更に願いを込めて書いた手紙を速達で出した。期待半分、あき らめ半分。

3日後、携帯が鳴った。知らない番号にはあまり出ないのだが、その時はなんとなく出たのだ。

「浜木綿子です」……

なんとご本人からだった。 「5月中はいろいろバタバタしていましてね」
しばらくやり取りは続いたのだがスケジュールをもらえる話までなかなか進まない。そこで藤原は昔話作戦に出た。 「もう何十年も前になりますが、浜さん、ニューオータニでお店をやっていませんでした?」 「古い話ね、雇われママだったのよ」「僕、あの店でピアノを弾いていたんですよ!カウンターでお話をしたこともあります」 「えー、藤原さんはピアノがお好きなの?私もピアノが好きよ」 という展開になり、なんとスケジュールをいただける話にまで発展、願いが叶ったのだ。

結構長い間こんな業界の中に居ると、昔の出会いや経験がブッキングに役立つことがある。 27種類ぐらいの職種を経験しているし、高級で高尚な話題以外は大概ついていけるしね。

「数の子入れていいの?」「いい…ふがふが」「いいってどっちのこと?」「いや今日はちゃんと あれしてきたから(入れ歯のジェスチャー)」。近所のすし屋の親父と年配の客のやり取りだ。 年配のお客さんが握りを一人前注文した時の会話。親しい親父だが、この時は会話を無視。 本当は「もう少し優しく言ったら?」と会話についていきたかったのだが。

さて番組は23日に収録、編集を残すものの一区切りがつく。
このところ提案が立て続けに2本こけた。
しばらく藤原のブッキング(出演交渉)力は、出番が無いのかな・・・


2014-05-09
「第5回 岩谷時子賞」

谷時子賞の授賞式があったので出かけてきた。1回目から参加しているが今年でもう5回目。 去年の授賞式までは岩谷先生がご存命だったので、今年は本人不在のはじめての授賞式となった。

岩谷時子賞は指揮者の佐渡裕さん。奨励賞はミュージカルのStarsの若手3人組だ。 去年はユーミンの弾き語りを聴いたが、今年のこの3人組もとても魅力的だった。人気のある訳がわかる気がした。日本のこれからの音楽シーンに大いに貢献できる若者たち。 (なんだか若さをいい意味でうらやんでいる気がする自分…) とにかく、志高い「岩谷時子賞」の今後の発展を願わずにはいられない。

去年まで賞のプレゼンターだった八千草薫さんは今年「特別賞」を受賞された。 岩谷先生がご存命だった去年までは、ご縁という事でプレゼンターを務められたのだろうが、受賞コメントがしみじみといい話だった。 そして今年のプレゼンターは竹下景子さん。時代と共に、新たなページがめくられていく。

レセプション会場では立食で食事が提供されたのだが、結構年配の方々の長い列。 一応並んだのだが、それなりのスローモードなものだから、せっかちな藤原には待っていることになかなか我慢がきかない。 会社に戻る途中、コンビニで「おろしぶっかけソバ」なるものを買って昼飯にした(笑)

ついさっきまで夏日の様子だったのに、今は空が暗く強い雨。そして大きな雷の音。 だが、この変化は誰もがもとに戻ることを知っているし心配もしていない。 そうだよ、多少の変化はあって当然。このまんま、なんてことはないのだから…などと 妙に神妙になりながら風車に目をやる… (風車?ベランダのカラス避けに先日買ってきた。よく回るし結構可愛い)

岩谷先生も可愛い人だったよなぁ 
なかなか巡り合えない「天使」を感じる人だった。


2014-05-08
「サブちゃん×欽ちゃん」

昭和42年 日劇のステージにコント55号がいた。
北島三郎ショーの前座というのかな。 型破りでスピード感があって、実に面白かったので、一週間の公演期間の間、毎日 ステージ脇で観ていた。
16歳の藤原には実に刺激的だったのである。
その時、藤原は北島バンドのベース弾きだった。バンドメンバーになって、まだ日が浅 い本当に少年だった。(可愛い美少年!笑)

あれから何年の月日が流れたのだろう…
サブちゃんも欽ちゃんも現役で、藤原も現役の平成26年、この二人の対談番組が成立する。 制作はもちろん藤原だから、当時を知る三人の番組ともいえる。
サブちゃんは「藤原の好きなように作っていいよ」と言ってくれたし、欽ちゃんも快諾してくれた。 自分のなかにあるドラマが、これで一つ完結するような気もする。

番組が放送されるとき、北島三郎77歳、萩本欽一73歳、藤原64歳。

16歳の視線の中にあったあの二人と自分…自分史のなかにある、大きなドラマだな。 9月ごろの放送になると思うが、一年半も温めてきた企画なので、想いを込めて作りたい。込め過ぎない程度にね。
このところ、やはり自分の道のりを考えることが多くなった。
後悔も反省もないのだが時間に対する考え方は少しずつ変化してきている。
もうすぐ64歳年齢を自覚しようと思うとなおさらだ。
昨日会社に花束が届いた。??? 
メールが来た。「勘違いしました!」 ???
なんと、一ヶ月と一日早い「誕生日」のお祝いの花束だった。
送り主の彼女は70代。
ここに登場する4人の年齢を足し算したら、いったい何歳になるんだ!ってね。(笑)


2009-05-01
「心のくすり」

なんとなく不愉快だったり、気分がすぐれなかったり、グズグズしている時にぴったりはまる 素晴らしい「本?」に今日出会った。今朝、起き掛けになんとなく手にした「本」で思わず爆笑 してしまったのだ。コンビニで売ってたらしい。

爆笑「母ちゃんカンベンしてくれ・心温まるおバカエピソード」という「本」だ。本当の事だから 登場するエピソードはごく日常的。あるある、きっとこんなこと、の受けネタオンパレードだ。

「間違って父ちゃんの弁当を持ってきた。俺はどうすれば・・・」
現物の弁当の写真が載っている。(ごはんの上にノリか何かで こんや と書いてある)
涙を流してわらった。

ま、これは今日の朝の話だが、会社にきてから資料として買ったコント55号のDVDを見た。
これでまたわらった。午前中に2度も無心に笑えたのだ。悪くない一日だ。

上手に生きるテクニックとして、心のくすりは必要だ。感動して大泣きするのもストレス発散になる。無心に笑えてしまえる状況もストレス発散になる。
家族は藤原が素面で笑ったりするとなぜか喜ぶ。いかに日頃仏頂面しているか、という事だ。
心のくすりだ…必要なのは。

近々ホームページをリニューアルする。
会社にとって、薬になればいい、と願うのは必然かも。さすがに古いHPだしね。
そして5月。メーデーの影響で今朝は渋滞に巻き込まれたが、心のくすりの「本」のページを思い出すだけで、イライラはしなかった。
やっぱり、自分なりの「心のくすり」は必要だよ。


2014年4月

2014-04-27
「藤の花」

昨日、樹齢千年以上という「藤の花」を見てきた。藤棚の部分はなんとなくイメージしていたが その基になる部分、幹の部分を初めてじっくり観察した。枝振りからは想像もつかない、なんというか、決して立派とは言えない姿、とでも言おうか…

先日ゴルフ場で小さな藤棚に出くわしたとき、一緒に回った友人が「昔 ♪藤棚の~と歌った歌があったわよね」と言ったので藤原はすぐに歌った。 「うす紫の藤棚の 下で歌ったアベ・マリア~ 安達明!」 友人は「私たち、その時代がすぐわかるから、嫌よね…」とかなんとか。
それほど我々の世代には時代と歌が、強くインプットされている、という事か。
なんという歌?「女学生」だったと思う。

そんなことがあったので、わざわざ「藤の花」を見に出かけることにしたような気もする。埼玉の 春日部まで行った。満開ではなかったが、それは見事な藤棚だった。アベ・マリアは居なかったが。

帰りに根津神社によって「つつじ」を見てきた。人混みを見てきた、というほうが正しいかもしれない。
藤原はそんなに花が好きか?そうでもないと思う。詳しくもないし判別もできないし。だが、花でも 愛でていたい今の気分、そんなところかな。花のある生活、それは好きだな。
花を愛しむ余裕、それは求めているな、きっと。らしいのか、らしくないのか、わからないけど。

見てきたと言えば、先週「オーヴォ」を見てきた。サーカス風メルヘンチックパフォーマンスショー とでも言えばいいのか。見事な肉体パフォーマンスだった。習性というのか、パフォーマンスに 目をやりながらも、意識は音楽や照明に向いている。素直に楽しめよ!と言いたいね、自分に。
こんなんだから、仕事とは全く関係のない「花」がいいのかもしれない。

一年前から温めていたものが、番組として成立しそうだ。すべてが「おもいつき」から始まる。
何かを思いつくためには、いつも「何か」に出会っていなければならない。
そう言い聞かせ、自分の尻を叩きながらあちこち出かけるのだ。(笑)

「藤の花」は本当にいい匂いがしていた。「女学生」の気分になったよ!
なんてね、 いい、一日だった。


2014-04-22
「白いツツジ」

自宅に咲いたツツジ。去年はあまり咲かなかったが、今年はまだまだ花をつけそうだ。



桜を見ることはできなかったが、少しの間ツツジは楽しめそうだ。


2014-04-14
「ホーチミン」

例えば夕食780,000 タクシー初乗り17,000 ビール350,000 喫茶店のコーヒー480,000とか。
円?いやいやべトナムのドンの話だ。わかってはいたのだが、いざ使うとなるとなかなか難しい。

4泊の短い滞在だったが、ホーチミンに行ってきた。初めてだったのでツアーを使った。フリー タイムが多かったのでこのツアーを使ったのだが、やっぱり初日は同行者と仲良くすることになる。
同じホテルになったおじさんご夫婦がホテルに着くなりツアーガイドに聞いた。
「枕チップはいくらだね」担当者「20000ドン程度」。
オジサン、僕に聞いた。「両替してきたかね?」ボク「空港でしてきましたよ」。
「20000ドンていくらかね」ボク「最初はわからないだろうと思ってドルを持ってきました。枕チップなら 1ドルでいいんじゃないですか」オジサン「悪いんだけど1ドル貸してくんないかね」ボク「ええもちろん」 てなわけで初対面のおじさんにいきなり1ドルを貸すことになった。
オジサン「1ドルっていくらかね」ボク「103円ぐらいじゃないですか」。てなことで初日がスタート。

このおじさん、後で聞いたら70歳だって。オレよ~とか朝からビール飲んじゃってよ~とかやたらと フレンドリー。結局はいい人だったけど。

まず街中のバイクの多さに驚いた。台北などのバイクの多さの比ではない。とにかくバイク、バイク。
市内の住居費が高いので、みんな安い郊外から1時間も2時間もかけて通っている人も多いらしい。
バスが少ないし、電車も地下鉄もないから交通手段は必然的にバイク。ホンダがやたらと多かったな。
ツアーだから、一応の観光に参加。結構参考なった。よいタクシーと悪いタクシーの見分け方なども。
情報があったから、タクシー移動も苦ではなかったし、ツアーはともかく、どこの国でも最初は観光に参加する。
ガイドに聞いてみた。「シンガーでカン・リーって知ってる?」と。発音が悪かったせいかすぐには わかってもらえなかったが、メロディーを口ずさんだら「知ってる知ってる、年配の人は大好きだ」と 言った。「若い人は好きではない」とも教えてくれた。「僕は知っている」とも。
この「カン・リ―」という歌手とベトナム戦争時代のある歌に興味があって行ってきたのだが、取材 には至らなかったがベトナムの空気を知ることはできた。取材はツアーではなかなか無理なことだし。

留守中に届いていた取材対象の本を読み始めた。本に出てくるストリートとか建物とか、時代とかが 読んでいてやはり身近に感じる。これが旅の結果だし、もっともいいところだな。
来年、番組にしたいな…などと思いながら、取材対象を絞り始めたところ。気の長い話のようだが、 実は時間はあっという間に過ぎていく。遠い国まで取材に出かけて番組に出来なかった案件もある。
だが、確実に人の出会いや友情が生まれ、大切な財産ともなっていく。
またすぐ行きそうだな、ホーチミン。


2014-04-02
「桜咲く春」

まだ桜見物をしていない。自宅のご近所の家に大きな桜の樹があるのでそれを見ることは見た。
が、桜見物と言うほどでもない。桜というのは何気にピンク色だったような記憶があるのだが、 なんか白っぽく感じるのはなんでだ?・なるほど。

昨日は娘の入社式だった。5年も海外に居たから、25歳の新入社員だ。入社式の会場が渋谷に 近かったのでついでに車で送った。めったにないことなのだが、なぜか鼻歌を歌いながら会社の 玄関を開けたところ、約束していた来客がすでに・・・すっかり失念していたものだから、15分も待 たせていたのに、鼻歌を歌いながら登場するという場面を作ってしまったのだ。
ま、いいか。桜咲く春だから。

このところ酒を飲むと、なんだか怒りっぽい。自分で嫌になるね。余裕がないんだな、きっと。
回りが迷惑だよ絶対。飲んだ藤原に近ずくなかれ、注意!てか。
4月の暖かで優しい日差しに背かぬように、そろりそろりとまいりましょう!てね。

5日で会社は21年目を迎える。振り向けば、遠い記憶のようでもあり…一瞬の出来事の様でも あり、良くやって来たな、という思いと共にこんなもんか…という思いもあり…
人はどこを満足地点とし、どこを完了、とするのだろうか。
そんなことを思っている時などは、日差しの中に咲く花を見るのが好きだ。日差しの中だ
。 日陰であってはならない。今の季節からは日差しを楽しめる。いいね。

昨日立ち寄った居酒屋のカミさんと、それぞれが上京した時の季節の話になった。確か、 3月だったよね、とか4月だったのかな、とか。何れにしろ、桜咲く時期だったことは確かだ。
この季節は、地方から上京した人間にとって、特別な季節なのかもしれない。いくつかの 大切な「はじまり」の中でも、特に大切な一歩であろう記憶を刻んだ「桜咲く春」の季節。
その桜たちは、毎年のように「いつの間にか咲いて」…「いつの間にか散って」いるのだ。


2014年3月

2014-03-16
「アンネの日記」

ニュースで騒がれていたから、空港で本を買い求め、読んでみることにした。
他に2冊持って出たからなんでもいいや、てな感じで。あとは週刊文春と週刊新潮、これはで出かけるときの定番週刊誌。 本の一冊は途中まで読んでいたから飛行機の中で読んでしまった。 ホテルに着いてから読み始めたのが「サイゴンから来た妻と娘」なのだが、この文庫本は字が小さすぎて閉口した。ちゃんと読めるけどね。 ベトナムに興味があるので関連本として読んだ。いずれ役に立つと思う。

さて「アンネの日記」だが、特別な思いがないと、なかなか読み進めるのが大変だ。子供の日記だもの。 でも、これが子供か?と思うほどの観察力や洞察力。 本人が書いたかどうか、問題になるわけだよね。
読みながらいろんなことを考えてしまうものだから、なかなか進まない(苦笑)旅の帰路、なかなか集中できないな、 と思いながら読んでいたら、隣に座った男が激しい貧乏ゆすりだ。 右足が終わったかとおもうと、すぐ左足。半端ではない激しい貧乏ゆすり。 思わず顔を見たがあまり正気とは思えないような表情をしている。本に戻ることにした。 と思ったら…次に乗ってきた女性が真向かいに座った。 (注・これは旅先の列車内の話で一等座という車両なのだがなぜか個室風に仕切られていて3人が向い合せなのだ。まったく使い勝手の悪い無駄なつくりだと思う) で、正面に座った女性だが、座るなり携帯で話し始めた。延々と40分ほど。 言語が分からないから、言葉の洪水はあまり苦にならないのだが、その隣のおっさんにかかってくる携帯はけたたましく、話し声もデカい。 こりゃだめだ!で車内の読書はあきらめた。アンネ、ごめんね。

空港に向かうために降りた駅は初めての駅だ。いつもの駅は工事中で使えないらしい。 すぐにタクシーを拾ったのだが運転手は煙草をくわえている。順番だからこのタクシーに乗るしかない…乗ったら何か話しかけてくる。 分からないと言っているのに何かを身振りを交えて言ってくる。 何のことはない、ガソリンスタンド(正確にはガス)に寄りたかったのだ。ここで外に降ろされその間待たされた。 ガスを入れてから客待ちをしろよ!とは言葉が通じないから言わなかった。 この運転手、正しいお釣りをよこさなかったし。 日本人は文句を言わない人種、というイメージがしっかり定着してんだろうね。 怒るほどのことでもなかったからよしとしたが。でも、ナメラレテルヨネ。

で、無事に空港について今これを書いている。「アンネの日記」は機内までお預けだ。 読み切る自信はない。拾い読みして、あとは何れ…てなとこかな。 きっと読みたい日が来るかもしれない。アンネ、ごめんね。

それにしても、国が違えばマナーも違う。マナーがあるの?と思ってしまう場面に出くわすことも多い。 しかし、それもこれも旅をしないと分からない。だから旅が好きだ。
次は、ベトナムだな。 あの国はきっといい国だ。本を読む限りそう思う。
さて、搭乗時間がきた。飛行機に乗るか…


2014-03-10
「ただの泣き虫?」

先週、映画「ワン チャンス」の試写会に行ってきた。
英国で一躍時の人となったポール・ポッツの半生を描いた映画だ。 うだつの上がらない携帯電話販売員が、歌手として成功を収める。 映画そのもののクオリティーが高かったかどうかは疑問符だったが、歌や音楽はやはり人の心に迫る。 泣かすつもりだろう…とわかってはいるのだが、場面と歌が一対になるとやっぱり泣ける。 次に観に行く映画は「あなたを抱きしめる日まで」だろうな。なんで?ひたすら泣けそうだから(笑)

その翌日、明治座で「欽ちゃん奮闘公演 THE LAST ほめんな ほれんな とめんな」を観てきた。 欽ちゃんの舞台を初めて見たのは昭和42年、「日劇」だった。舞台の袖から見ていた。 舞台で演ずる彼を見たのは、あれ以来だ。この芝居はほんのりほんわかな喜劇だから、別に泣く芝居ではない。 のだが…その場面にぴったり音楽がハマると、これがまた泣けてしまうのだ。 やれやれ、俺は泣くために出歩いているのか? 月末までに、もう一度観に行ってもいいな。泣く為ではない。ちょっと勉強したいからだけど。

そうそう、試写会の後ふと思い出して、アメリカンステーキの店に寄った。 作曲家の浜圭介さんに連れて行ってもらった店だが、「ルース クリス」というステーキハウスだ。 日本人は霜降り肉を好むがここの肉はいわゆる赤身。これがまた旨い。 最近脂身の多い部位は食べる気もしないから、歳をとったせいだろうが、これぞステーキ、という感じがしていいな。 寿司ネタも大トロは勘弁してほしいのだ。ベトベトしている感じがして、美味しいと思えなくなってしまった。 味覚はもうすっかり、オジサンの世界だね。

そうして週末を過ごし、日曜の昨日の夜は、介護中の母親を乗せた車椅子を押した。 そんな現実の中では感傷なんかに浸れない。現実は残酷だ。

そんな藤原は現実逃避として、泣ける映画や泣ける芝居を求めて出歩くのか?じゃないよ!(笑)
ま、いずれにしろ「ただの泣き虫」だよな、オレ。


2014-03-06
「愛のある光景」

名前を呼べない。あなたに、とか、あなたは、とかしか呼べない。これは不幸なことなのだろうか。
7歳違いの長男が居る。正確には片親しか一緒ではないから、長男、次男の関係はやや複雑。 戸籍上はどちらも長男だからだ。 手紙を書いた。といってもパソコンでだが。宛名もパソコンで書きたかったがそれだけは手書きにした。 そこで、名前を呼べない自分が居ることに気付いた。
手紙はスタッフに頼まず、自分で切手を貼り、自分で投函した。
生きざまについて、その歴史に触れざるを得ないこともあるから、あれこれは神様のせいにするのが良い。 「私はあなたに何も望んではいません、神様がお決めになった事でしょうから…」のように(笑)

「愛のある光景」にあこがれて生きてきたような気もする。 男と女のそれではなく、家族的?な愛のある光景だろうか。

こんなことがあった。高速道路を運転していてふと見上げた歩道橋に二人の男の子がいた。 流れる車をただ見ている二人だったが、その場を通り過ぎた後、なぜか涙がぽろぽろ流れた。 涙腺の刺激のツボが人とは違うものだから、ときどき本気で困る。 さて、孫を抱きしめたり孫の世話をしたり、そんな日がいつかは来るのだろうか。 その前に子供たちの結婚式があったとしたら俺は平常心でいられるのだろうか…などと要らぬ 心配をしながら「愛のある光景」を夢想するのだ。 「愛のある光景」とは距離があり過ぎる手紙を投函して、こんなことを書きたくなった。(苦笑)


2014-03-02
「二本の枝」

道ですれ違った顔に見覚えだあった。
あの大きな顔の彼をどこかで知っているよなぁ…
誰だっけかなぁ・・・
すれ違ったものの振り返るほどの事でもないし、距離はだんだん 離れていく… あぁ記憶がだんだん遠くなる…ちょっと不思議な感覚に陥った。そして突然思い出す。 あぁ!アレンジャーの○○だ!。ところが、今度はその○○が思い出せない。 職業は思い出したものの、名前が思い出せないのだ(笑)。その後出会った知人の口から偶然名前が出てきて解決。

思い出す思考回路はそうして時々徐行運転なのだが、止まらない思考回路もある。 例えば、「二本の枝」というテーマがあったとする。二本の枝?立木か?枯れ木か? 流木か?となればいいのだが、二本の枝?・・・日本の絵だ?
「日本の絵だ」とくればエルミタージュ美術館で見た日本画のコーナーか?「日本の円だ」 それは当たり前だ。「日本のえっ?だ!」う~ん、番組とタイトルにならないかな・・・ ・・・ 「二本のエンター」それがどうしたの・・・てな具合にこの手の思考回路は止まらない!のだ。

駄洒落の好きなおっさんの思考回路は、似たようなもんだろうけど。

発想は豊かなほうがいいに決まっているが、発想に豊かな愛情も欠かせない。 ぬくもりってやつかな。人は善と悪の二面性を持ち合わせていると思う。二本の枝だ。 喜びと悲しみの感情も二本の枝かもしれない。ヒトの手の裏表も二本の枝かもしれない。そうなんだ。 一本では、永遠に交わることができないが、二本なら交わる可能性は大きい。 3本になると三角関係とやらが成立しそうでこれはまずい!とこれは余分なのだが。

社内の勉強会のテーマになっている「二本の枝」をボーッと考えていたら…こんな日曜の朝。。。


2014年2月

2014-02-19
「岩谷時子さん お別れの会」

一昨日、岩谷先生のお別れの会がパレスホテルであった。
改めて、また一つ時代が終わったことを思う。
越路吹雪、ザ・ピーナッツ、加山雄三、日本語ミュージカル「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」などの訳詩、 それはそれは数えきれないほどの作品数で、数々の名作を残された。 いっさいテレビ番組にはお出にならない先生だった。作詞家は影の存在で、作品のイメージの中に私のような「人間の素性」が見えてはいけない、というのが持論だった。 それを承知で何年もかかって先生の映像をとることに成功した。その結果が21日に再放送される「歌伝説 愛の讃歌 作詞家 岩谷時子」だ。

帝国ホテルをお住まいにされていた。1年以上かけて4回ほどロケをした。 それが後にも先にも最後の動く映像になったと思う。お別れの会の会場に番組が流されていた。 先生の番組を創ってておいてよかった・・・ ・・・とつくづく思った。番組は手間暇かけて創るもの、その思いが実った番組になったと自負している。

「読売」「産経」「日経」「毎日」「朝日」、自分の好きな新聞の順番だ。 読売は子供のころから読んでいたし、中立を感じるから安心できる。産経は寄り過ぎていて面白いから結構好き。 日経は会社で購読しているが読み応えのある記事も多い。なんでこの話?
世の中には「朝日」が一番という人もいる。「産経」がおかしいという人もいるかもしれない。 人それぞれだからどうでもいいのだが、岩谷さんの作品は好きか、嫌いか、というレベルではないものだ。 あの「永遠の少女」のようなお顔とお姿から想像もできないような「お言葉」も。 でも、どちらかというと「読売」だね。決して「産経」や「朝日」ではなかったと思う。

お別れの会では当然懐かしい顔ぶれとも出会う。 レコード会社の知り合いは、社長になっていたり、重役になっていたり。 時が流れているんだ、と改めて感じる瞬間でもあった。そんな時こう思う。 俺は20年間一緒だよなぁ・・・
北島さんがこう言ったそうだ。「お前らはいいよな、頑張ればそれなりの変化がある。俺は初めから歌手で終わるまで歌手のままだ」と。そりゃぁそうだ!(笑)


2014-02-14
「テイチクエンタテイメント 80周年記念コンサート」

「♪あなたは あなたは家族も遠く  気強く寂しさを堪えた あなたの あなたの見せない傷が ・・・」

このフレーズを聴いていて、不覚にも涙をこぼしてしまった。 「吾亦紅」のリハーサルの時だ。ステージ脇で進行を見守りながら、なぜか2コーラス目のこの部分でポロポロ。 ライブのエネルギーとは、こういうもんなのだな、と思いつつ止まらない涙。

12日、13日と中野サンプラザで開催された「テイチクエンタテイメント80周年記念コンサート」の制作チームを我が社が担当した。 二日間で48名の歌手、84曲の熱唱、大イベントだった。 仕事だから、歌に聞き入るなんてことはないし、段取り確認やスタッフの動きに神経を使っているのだが、時々こうして「歌」のちからを実感することがある。
若手から歌手生活77年という大御所まで「日本の歌文化の縮図」のような要素もありながら2日間とも3時間という音楽ショーを終え、事故やトラブルの無かったことに安堵している。 そして、さっきインターネットで「吾亦紅」の譜面を買い求めた(笑)すぎもとさんの事は良く知っているし、「吾亦紅」の存在は当然知っていたのだが、歌手の歌でもないし、好きで勝手に歌っているんだろ、てな感じで作品に対して無視を決め込んでいたのだが。
(作曲家挫折の藤原の隠された嫉妬心だ?きっと(笑))

だが、いいものはいいんだ、と認めてしまったわけだ。
いい歌だよ、今更だけどね。
そういえば随分前になるが、生放送で司会者の隣にいた藤原が歌を聴きながらぽろぽろ泣いてしまい、司会者がもらい泣きをして、カメラが戻った瞬間司会者の言葉が出なかった、という事件があった(笑) 今は民放で活躍している堀尾アナウンサーだが、藤原さんが泣くからつられて~と後で笑い話。 (NHKのアナウンサーたるもの、番組で泣くなんて、と視聴者からお叱りを受けることになったが)

そして東京は今日また雪だ。昨日でなくてよかった。歌を愛する人々の心を濡らすのはいいが、足元を濡らす必要はない。 そうそう、歌ではなかったが綾小路きみまろさんのステージもよかったよ。 さすがの中高年のアイドルだ。頑張る同年代の姿、いいね!
そして藤原は明日からの土日、提案書きに精を出すことになる。
この姿、地味だね!


2014-02-05
「あした死ぬかもよ?」

ひすいこうたろうさんの本のタイトルだ。いいタイトルをつけるものだ、と感心。 アマゾンで頼んでおいた本が会社に届いたから、さっき一気に読んだ。 人生最後の日に笑って死ねる…などなど、「死ぬ」という事をテーマに、生きるためのさまざまな工夫と知恵、といったところかな。楽しく読んだ。

なぜこの本を? 友人との電話の会話の中で「最近コンビニでもこんな本が売られていて結構売れている」と聞いたから。 なんで売れているのか、それを知りたかったからだな。明日死ぬとしたら、今日何をしたいか?的なテーマは身近な問題で、読んでいて なるほどが結構書かれている。 別に本を宣伝しているわけではないのだが、今「考えていること」の参考になった。

歳を重ねてくると、どうも頭でっかちになっていて、「素直」が頬っ被りしている傾向があることを気付かされたりするもんな。特に本にはね。

時間がない、時間が無い、最近思い描く言葉だ。充分に時間があるのに、頭だけが焦っている。 余裕がない、集中力がない、煩雑な作業が多すぎる、あぁ時間が無い、とこうなる(笑) でも、もっと大変な時期や事柄はたくさんあった。 「あのときの大変が10だとしたら今はまだ7だ」とこう考えたら楽になる、とも書いてあった。 作者はまだ若者だろうにな…などと余分なことを考えている自分。

俺が明日死ぬとわかっていたら、さて今日リンゴの苗木を植えるだろうか? あと半年で死ぬとわかった時、まだこの会社を続けるだろうか? 棺桶に片足を入れようとするときに、最後に聞きたい一曲ってあるかなぁ…etc

「明日死ぬかもよ?」

人間には「死ぬ」ことと同じくらい、避けられないことがあるんだ。それは「生きる」ことだよ。 (チャップリン「ライムライト」より) だって。


2014-02-02
「ASEAN」

このところ、東南アジアに興味がある。
なかなか行くチャンスが無かったという事こともあるが、昨年ミャンマーの若者と一緒に仕事をしたこともあり、ASEAN諸国の記事などを丁寧に読むようになった。 ASEANの中でマレーシアだけだな、行ったことがあるのは。
さて、インドネシア、どこだっけ?島だらけの国だという事はわかっているのだが、え~と・・・ てな具合に地図を探して「あぁ ここね」、などと不勉強極まりない私。 ASEANは10か国だったなんて最近知った始末。アメリカとかヨーロッパは、知ったかぶりするのにね。

ベトナムに行きたいと思っている。悲惨な歴史の中で生まれた「いい歌」を少し学んだからだ。 3年ほど前、やはりサンクトペテルブルクに「歌」を見つけて早速出向いたときと同じ感覚かな。 ベトナムの「歌」も、今行けば関係者はまだ生きている…時間の都合をつけて行きたいな、早く。

東南アジアのあれこれを学んでいて、アジアハイウエイの存在とAH1号の起点が日本橋だったことも最近知った。 日頃必要がない事柄だからいいとしても、アジアに関して知らないことが多すぎるよな。特にASEAN、東南アジアをね。
ASEANに限らず、知ったつもりで疑問も何も持たないことが多すぎるのだろうか?などと自問。 結構何にでも興味を持つタイプなのだが、忘れるのも早い(笑)本当に忘れるのだ。見事に。 「恨み辛み」、これも結構忘れられる。特技だな。 さてさて、もう2月。忘れたいのに忘れてはいけない現実と向き合いながら、また巡りくる節分。 正月、節分、新年度、何度もやって来る「仕切り直し」のチャンス。

ASEANの10か国、スラスラ言えるかって? 無理かも…無理だな。


2014年1月

2014-01-24
「あのころ君は若かった」

今朝、車を運転しながら映画音楽のCDを聴いた。ミュージカル映画のサウンドトラック盤。 映画のシーンと連動はしないのだが、曲はほとんど知っている。そんな曲を聴いていると、「昔」とか、「懐かしい」とか言葉のキーワードがいくつか出てくる。 「あの頃」とか「あの時代」とかも。
すると、よくあることなのだが、自分にとって「妙に恥ずかしい」場面が甦ったりするのだ。 なぜだかよくわからないが「布団をかぶって寝てしまいたい」的な場面を思い出すのだ。 「いやいや、俺がそう思っているだけで、誰も覚えていないし、どうってことないのだよ」と 自分に言い聞かせるのだが、こんな感覚、俺だけなのだろうか。 心のどこかに、トラウマのように潜んでいるんだろうな…数々の恥ずかしい場面が。。。

このところなぜか、妙に昔を懐かしむ感覚が押し寄せることがある。あの人、どうしているんだろうか・・・ で、小説家の佐藤愛子先生に本当に久しぶりに電話をした。 「嬉しいわ!暖かくなったら会いましょう!今長編を書いているけど多分4月には書き終えるから電話するわ、私はもう90さいでヨボヨボ寸前よ!」

90歳で長編を執筆中だって…

先日、留守中に昔懐かしい女性から電話があったそうだ。藤原が上京して間もなく知り合った女の子で当時中学一年生ぐらいだった。 おれを「お兄ちゃん」と呼んでなついていた娘だ。 社員が応対してくれたらしい。
「懐かしくて声を聴きたくなったので電話しました 仕事はまだしていますか?」 そしてこうも聞いたらしい。「…髪の毛はまだありますか?」と。
社員はこう答えたらしい。 「ふさふさです!」

番組も、藤原の年代以上は「懐かしさ」が魅力であり、若者には「今」が魅力なのだろう、と改めて思う。 次の企画提案までにあまり時間はないが、「今」は若者に任せて、やはり「懐かしさ」を軸に考えるのが素直だよなぁ…と改めて思うのである。
《ふさふさ、には やや抵抗があるのだが》


2014-01-12
「旅先で」

中国福建省の厦門に向かう新幹線の中で、ティッシュペーパーとハンカチを使うことになってしまった。 物語の終盤に差し掛かり、予感はしていたのだがやはり泣いた。その時、隣の席が空いててよかった。 しばらくぶりの一人旅だ。成田で2冊の文庫本を買って旅に出た。 2冊でよいと思ったのは、新しいPCも持参したから。新たなパソコンに慣れるのにきっと時間がかかるから、2冊もあれば充分、てな感じだ。

が、今回は出鼻をくじかれて旅は始まった。新幹線のチケットを依頼してあった旅行社が空港に来ていない。 日にちを間違えていたか、うっかりしていたか。結局駅で旅行社と待ち合わせて事なきを得た。 さてホテルに着いて、さっそく新しいパソコンを繋ごうと思ったら。 パソコン側にラインを繋ぐ「穴」がない!軽さを求めて買い求めたパソコンだから本体はかなり薄い。 だから、ラインケーブルを入れられるほどのそれらしき「穴」はない。さっそく自社に電話をしてスタッフに聞いた。 「穴」がない!「ラインの規格が変わったという話は聞いたことがありませんが!」 (馬鹿な会話だ)

結局探し回ってUSBのライン用アダプターを買い求めたので一件落着、と思いきやドライバーとかをインストールしなければならないことが分かったのだ。 外付けドライブは置いてきた…もういいや!で PCをしまい、PCの存在を忘れることに。

結局、緩やかな時間は「本」に向かう。一冊は山本一力の時代小説「たまゆらに」。 この作者の小説は初めて読んだが、なかなか面白くて一気に読んでしまった。 細かなト書きが書かれた台本を読んでいるような感もあり、実に見事に場面が映像のように見えてくる。 たった一日の出来事が縦軸なのだが、その展開の面白さは際立っていて、旅先に持参する小説としてはいいチョイスをした。

さてパソコンに使うべき時間を本に充てることになったものだから、すぐ2冊目の小説に手が行く。 東野圭吾の「秘密」だ。狙って買ったわけではない。これもたまたま手にした一冊。時代小説を読み終えて 間を置かずに読み始めたものだから、なかなか中に入っていけないかな…との思いはすぐに吹き飛ぶ。 その日の夜は、食事に出かけるのも面倒くさくなり、持参したカップラーメンと焼酎のお湯割りで済ませ、結局 午前2時ごろまで読みふけってしまった。
で、読み残した分を電車の中で読んだというわけだ。途中何度か、きそうになったのだが、最後の最後、数行で 泣かせてくれた。 小説家はきっと憑依体質だ。ストーリー、描写、読者をひきつける力、凡人は小説家を尊敬するしかない。 さて、間もなく成田に向かう飛行機の搭乗が始まる。本は読んじゃったものだから、時間つぶしにこれを書いている。 インターネットはだめだけど、これなら、って感じで。


2014-01-03
「三が日」

元日 朝9時30分からの自社制作の番組を観て、午後例年通り、近所の氏神様に初詣。 ついでに「花園神社」にも参拝。元日の帰宅が朝4時を過ぎていたからかなりの寝不足。 よって早めのダウン。 2日、風呂場の掃除以外ほとんど何もせず、夜「新橋第一ホテル」で夕食。タクシーで帰宅。 テレビで映画を観て、いつしかダウン。 3日、「ニューイヤーオペラ」本番のスタッフに「お年玉」の配達。そして今、会社。年賀状整理。 これからの予定?何も決めていない…

例年、元日と2日ぐらいはあえて何も考えずだらだら時間をやり過ごすのだが、3日になると、現実がそわそわしながらやって来る感じがする。 いったい、自分以外の人々はどんな正月を過ごしているのだろうか…と思ってしまう。
そうそう、年末7億円を手にしそこなった! 誰が手にしたんだろうか…と思ってしまう(笑)。 さて、今日はさっさと切り上げよう。そうだ、社員が使っている毛布類の洗濯をしよう。 コインランドリーで、2回程度洗えばすむ。 今日のこれからの予定はこれだ!みんなも仕事しているし…

これって、俺がやることか?  …と思ってしまう(笑)


2013年12月

2013-12-31
「昭和純情」

先日大掃除した会社だが、すでになんか汚れている感じ。ま、忙しかったしね。 大晦日の会社は電話が鳴ることもなくいたって静かだ。が、外は騒々しい。 NHKの周辺で街宣カーが何かを叫んでいる。紅白入場の人たちが並んでいるのだろうから そこに向けて何かを訴えているのかね。聞き取れないが。絶叫している感じだな。

さて、西暦2014年になり平成26年になるわけだが、なんだかややこしいな。 今年何年だっけ?という会話が目に見えるようだ。どちらか一方ならいいんだけど。 我々の世代は昭和を西暦で言われるとほとんど時代が見えてこない。きっとみんなそうだよね。 2000年以降は実感があるけど、昭和を西暦で言われてもなぁ…

明日放送の民放の番組で、歌の年代表記をみんな年号にしてみた。 若いディレクターはなぜ?というのだが、西暦で表記されてもありがたみが無いからだ。 昭和○年のヒット曲、とあれば時代が鮮明に見えてくる。若者には関係ないらしいが。

何れにしろ、昭和がだんだん遠くなる。確実に一歩一歩。 サブちゃんが紅白を去る、などと言う話題に触れると、なおさらだ。 「50年、本当に遥かなる道だよなぁ」ときのう本人がしみじみと言っていた。 そうそう、藤原が以前創った「北島三郎 遥かなる道」の話からそうなったのだが、確かに「遥かなる道」だ。 もう一作、「北島三郎 ひとすじの道」という番組も創ったのだが、同じようなタイトルなので自分でもどっちが先だったか混乱する。 今夜、改めてサブちゃんにDVDを進呈する。
「昭和純情」という曲があって、北島さんに仮歌を入れたCDを渡してあるのだが、聞いてくれたかどうか聞きそびれている。 いい歌だと思うんだけど。20年以上前に創った歌だ。 昭和純情、典男の純情だね。

なんだかんだあったが、あと数時間で今年も終わる。終わりがあれば、始まりがある。逆もね。


2013-12-29
「怠け者の言い訳」

怠け者の言い訳として、才能が無い、学び始めが人より遅い、時間が足りない…読売新聞の編集手帳にあった。 そして来年に向けてこう続く。 努力を惜しまぬように、言い訳せぬように、人様をうらやまぬように…

先日、音楽業界の大手会社の会長にお目にかかった。藤原より4歳年上だという。 輝いているこの先輩に大いに刺激を受けた感じがする。パワフルを感じるのだ。 俺は?なんかグズグズ文句を言うばかりで、すっかり夢を忘れているような気がする。 守ることに専念をしてきた一年だった気がする。何が生まれた?多分なんにも。

社員には「言い訳するな」と言い続けてきたが、自分自身が、心の中でさまざまな言い訳を探してこなかったか?と自問すると、答えは「言い訳まみれ」かもしれない。 O会長は、今の藤原に、とても大切な刺激になる気がする。 自分が怠け者にならないための大切な刺激。

今日も社員は皆出勤。明日の生放送に向けて。そして正月3日の「ニューイヤーオペラ」に向けて。 怠け者は誰もいない。だが、言い訳する奴はいる。(苦笑) 一年の終わりに向けてカウントダウンだ。明日の生放送が終わり、紅白終了後の北島さんとレコード会社の打ち上げに顔を出して、今年のメニューがすべて終わる。 「怠け者の言い訳」、来年はこんな言葉に目がいかないような日々に、気にならないような日々に、 したいなぁ~(急なトーンダウン)


2013-12-28
「激論」

スタッフWとアルバイトのM君が仕事の仕方、仕事の振り方、段取りについてなど激論を交わしている。 この会社では珍しい光景だ。《これは実況中継!》 アルバイトのM君がWの抗議に負けていない。5年も後輩のいなかったWにとって初の後輩的対象のM君だから、彼に対していろいろ不満も含め必死の訴え。

こんな光景を経営者としては喜んで見ている。わが社のスタッフはおとなしすぎて、議論が激論になることなど無いのだ。 おや、これを書き始めたら、終わってしまった…。 カメラを回しておけばよかった。どうぞあとくされがありませんように。

さっき、以前我が社のADで、今は税理士を目指して勉強中のK君から電話があった。 また試験に落ちたんだそうだ。「落ち込んでいるんですよ~」と笑いながら明るい声で伝えてきた。 「お前はバカなんだから税理士なんかあきらめろ!」とかなんとか言いながら15分ほど話したが、彼の明るい声にどこか救われる思いがする。 (彼の電話代があとで心配になったが。貧乏なはずだから 笑 )

落ち込んだ時、社長の声が聴きたくなるんです~
(いつも馬鹿にされるだけなのにねぇ)

さて、話を戻すが、我が社のスタッフは極端に傷つくことから逃げている気がしないでもない。 だから、激論なんか発生するはずもない。 仕事ぶりもおとなしい。社内も静か…
聞く耳を持つようにはなったけどね。だが、おとなしくなり過ぎたかも。 藤原?若い頃は本当に激論家だったような気がする。今も声はでかいし、よくしゃべる。 若い人たちの激論を耳にして、どこか心地よかった。仕事とは、そうあるべきだよ… などと心の中で思いながら、彼と彼女がこの後、どんな着地をするのか、楽しみだ。


2013-12-25
「Merry Cristmas!!!」

ロシアの友人からメールでクリスマスメッセージが届いた。「Merry Cristmas!!!」 「親愛なる大好きな友人 藤原様」。親愛なる、という言葉の響きがいいね。

息子や娘はかなり大きくなるまでサンタクロースを信じていた。 学校でかなり馬鹿にされたらしい。「親がやってんだよ」と言われて家に戻ると、「違うよね」と哀願するような目でサンタの存在を信じようとしていた。 今やその子供たちも御年27歳と25歳。

プレゼントを天井から吊るしたり、それなりに毎年工夫をして楽しかった。 自分の子供のころのクリスマス?あまり記憶にないな… 岩手には、サンタが居なかったのかも…(笑)ケーキ?とんでもない。ケーキ屋なんてそんなもの無いよ。

東京に出てきて初めてのクリスマスの夜。アルバイトでサンドイッチマンかビラくばりをしていた。時給100円だったか…16歳だった。 ケーキを手にして通り過ぎていく人々の群れを、なんとなく羨ましい気分で見ていた光景が記憶に残る。冬物のコートもなかった。とにかく気分も体も寒かった。

あれから○十年。
一通りさまざまな経験を重ね、それなりにクリスマスの夜を過ごしてはきたが最近は「クリスマス?だっけ?もう?」てな感じ。 子供たちもそれぞれの時間を過ごし親父は会社でこんな時間を過ごし…

だが Merry Cristmas!!! はやっぱり Merry Cristmas!!!
でも今年は暦が悪いね、世間はクリスマス本番前の3連休だもの。気分が盛り上がらないよ。 我が社は22日の日曜日が会社の大掃除と忘年会だった。 そして今日のクリスマス、全員が会社か現場にいる。 もっとも、独身者は彼女も彼氏もいないみたいだし(苦笑)それでもMerry Cristmas!!!


2013-12-10
「北島三郎さん」

つい先日、北島三郎さんの紅白勇退の記者会見に立ちあった。不思議な感じがした。 出会いは昭和42年、藤原は16歳だった。46年後のこの日、特別を感じる会見の 場所に居る藤原。時代と時間は、有無を言わせず変化をし、そして過ぎていく。

昨日、五木ひろしさんと作曲家の弦哲也さんが出演する元日用の番組の収録をした。 五木さんと弦さんがふたりでギターを弾いていたのだが、弦さんがおもむろにこう言った。 「藤原さんがベースを弾けばいいのに」

そうか、彼は知っていたんだっけ。北島さんのバックバンドでベースを弾いていたことを…

北島さんは引退ではない。だが、終着駅が目線に入ってきたのは事実だ。感慨深い。 東京に出て、初めて身近で見たスター歌手だった。 バックバンドだから、いつも北島さんの背中を見ていることになる。 「いつか正面から、堂々とあの人と向き合い、話をしたい…」

今の仕事をはじめて、その思いは遂げられることになる。 もう何本も北島さんの番組を創った。ある番組で司会者を頼んだことがある。他にもいろいろ。 「お前だけだ、あれやれこれやれというのは!」 ロケ先の空港で出迎えたら、愛あるプロレス攻撃を受け周囲の笑いを誘ったこともあった。 真冬の港で、船の先端に乗ってもらって湾内をぐるぐる回って撮影したことも。 そのシーンは結局番組には使わなかったが。

10年ほど前、北島さんの郷里の知内町で、北島さんを囲んでカラオケをやった。 北島ソングを、本人を前にして何曲も歌った。(酔っていたから) 「お前、上手いな」… …「あのころ言ってよ、歌手志望だったんだから!」と独り言。

そんなこんなで、月日は流れ、年末に向け北島さんがらみの番組を創っている。 最近、歌うこともなくなった。あれだけ、歌好きだったのに…


2013-12-04
「笑えねぇよ!」

指が治らない。突き指をして、靭帯を斬ってしまった指だ。板を添えたまま・・・だ。 何かと本当に不便だ。 などと思っていたら、今度は右足の付け根あたりから膝に向かって外側がなんだか痛い! 神経痛だかなんだか知らないが、今度は足に湿布だ。(笑)寒さのせい?歳の??

昨日、往復400キロほどを運転したのだが、車を降りたら足腰が固まってまるでロボット歩き。 笑えねぇよ!

先日整形外科で何気なく張り紙を見ていたら、65歳以上は料金が安くなる、的な文言が… ついこの前までは関係ない話、と思っていたのだが、思わず指折り数え… 笑えねぇよ!

替えズボンを3本ほど買い求めた。結構長めで、モーニングカットで、とかテキパキ注文。 採寸も面倒くさくて適当、ほかのズボンも「合わせておいて」などといたって適当。 今日穿いてみたら、股下が長すぎて、こりゃ駄目だ。
笑えねぇよ!

9日収録に使うスタジオの見積もりが届いた。全体予算がみえていないから、高いと言えば 良いのか、値引きしろ、と言えばよいのか… でも、これはにっこり笑いながら、値引き交渉するんだろうな。 さて、今年も師走だ。この一年に思いを馳せれば…笑えるのか?笑えないのか? 抱える問題が現実的過ぎて、てなことかな。 かなり大きな夢を抱えていたはずの典男君!どこでサボってんの!

寒さが嫌いです。背中が丸くなる気がするから…
雨が嫌いです。言い知れぬ寂しさに重なるから…
酒が好きです。飲むと、幾分気分が軽くなる気がするから…
駄洒落好きです。脳みそ密度が上がる気がするから…

これ、笑える? 笑えねぇよ!


2013年11月

2013-11-25
「お別れの会」

昨日、昨年亡くなった友人のお別れ会があった。
18歳の時の出会いだから長いお付き合いだった。癌で余命宣告を受けてはいたが、彼は時期を待たずに自宅のマンションから跳んだ。 別れも告げずに。

「想い出を語る会」だったから、長い友人という事で一番最初にステージで話すことになった。 想い出が多すぎて、その多くを話せなかったが、彼との別れの区切りにはなった。 69歳で亡くなった彼は、友人であり、時に兄のような、父のような場面もあった。 「変な人」だったが、奥さんに残すものは残し、多分誰にも迷惑をかけない形を整えて、旅立ったのだろう、と容易に想像がつく人だ。

彼は一時期、都内の高級住宅地に住んだ。一度だけお邪魔したことがあるが、立派な家だった。 昨日のお別れの会に、その家の前の持ち主というご婦人が出席されていた。 ステージで思い出を語る友人たちのあとに、各席にいらっしゃる方にマイクが回り始める。 そして、そのご婦人にマイクが回った。 「私が家を売った前の持ち主の○○でございます」のような話から、「私の主人は医者でございまして、あの坂の家と、医院ビルと、他に別荘と土地などもございましていわば相続のために売ろうという事になりまして・・・」 と 想い出と言うより・・・ま、そんな自慢とも思える話が続いた。ここまではいいとして。
マイクが一回りしたところで、そのご婦人は何を思ったのかまたマイクを握った。 「ここには音楽関係の方が多いようですので・・・私は作詞家で・・・」と言い自分の筆名を2度連呼! う~ん・・・・・・・・・・・・(苦笑)
亡くなった彼は多分10年ほどでそこを手放し有明に越したが、正解だと思った。 だって、残された○子ちゃんが、あの高級住宅地のご婦人方に染まったら、付き合い難しいもの(笑)
スキーもテニスも彼から教わった。作曲を始めたきっかけも彼だった。 彼の結婚式の司会をやった。独身時代、熱を出して寝込んでいると聞いて、おかゆを作って 持って行った。彼の作った歌を歌った。番組に観客として出てもらった。 だが、つい自分の自慢になりそうな思い出はいっさい避けたので、あまり話さなかった。

きのう、ベットに入ってから、「土地柄と人種」というテーマを、真面目に考えてしまった(笑)


2013-11-20
「おもいでとは、思い出すこと」

もうすぐ収録の番組台本が、まだ書けないでいる。あと一週間しか無いのにだ。 締め切り前に何日間余裕があっても、いつもこれだ。昔からそうだった。いつもぎりぎりだ。 もちろん、事前にイメージは作るし、展開もそれなりに考えてあるから、始めれば早いのだが、 始めるのが遅い。やってしまえば、楽なのに…

元日の番組だから、よし、オープニングは出演者全員で「一月一日」の合唱で始めよう。 途中で「お雑煮」の試食をやろう、などと仕掛けを考えていき、あとはコメントを書き入れていく。 「一月一日」と関係者に歌のタイトルを伝えても、なかなか伝わらない。 「♪年の初めの 例とて 終わりなき世の めでたさを ~」と歌えば皆納得する。 そういう自分も、あれが「一月一日」というタイトルだったんだ~てな具合だった。 否が応でもこの時期になると、年末年始を一足早く意識しなければならない。

この番組の構成段階でふたつ思い出したことがある。 50年前のヒット曲を取り上げるコーナーの一曲に、「皆の衆」という歌がある。なぜこの歌が 身近に感じるのか…当時「田園ソング」というラジオ番組があり、「今月の歌」という扱いだったと思う。 藤原少年は中学生で、新聞配達をしていた。朝のひと時、各家庭から大きな音量で流れる「田園ソング」が好きだった。 大音量ではないかもしれない。当時は静かな農村地帯だから、普通の音量でも大きいと感じるぐらいよく聞こえたのかもしれない。 ラジオに負けないくらい大きな声で歌いながら新聞配達をしていたことを、懐かしく思い出した。

もう一つは「お雑煮」。 岩手の雑煮の話になった時、「あまり餅が好きではない」と口にして思い出したことがある。 ま、これは貧困と哀れみ的な話だから、やめておこう。

しかし、50年前の歌たちはあまりにも懐かしく、そしてさまざまな思い出に重なる。 「田園ソング」で覚えた歌もたくさんある。当時の友人は、典男と並んで歩きたくない、と言った。 どこでも、大きな声で歌うものだから、恥ずかしくて嫌だ、と言われた気がする。 その友人か忘れたが、一緒に映画を観に行ったら、誰よりもでかい声で笑うものだから、 その帰り道、「みんなが振り返って見たりするから恥ずかしい!」と言われた。
あれもこれも、もう50年前なのだ…
今朝、思ったことがある。このままではただの年寄になる。
歳とったね…藤原さんも…
こんなことは言われたくない。そう思ったのだ!
が … … なかなかエンジンがかからない。


2013-11-16
「リーダーシップ」

自分の力量を知ったつもりで、その力量のなかで活動している限り、リーダーにはなれない。 リーダーは、資質を伴うとともに「力量の限界を超えなくててはならない」・・・のようなことをETVで放送していた「リーダーシップ白熱教室」の中で言っていた。
久しぶりにテレビに熱中し、思わずその言葉をメモしたよ。
エンターテイメント系の番組を作っていると、どんなにこだわって創っても、視聴者は「ながら観」なんだろうな、と思ってしまうことがある。 ご飯食べながら…ビール飲みながら…片付けモノをしながら…トイレに立っちゃう…とか。 あの映像にあんなにこだわったのに!あのコメントを何度も書き換えたのに! そんな部分に限って結果的に誰も評価してくれなかったとか。 テレビだから仕方がないよな…と思いながら、でもメモを片手に観る番組もあるよな… などと思った番組であり、昨晩だった。

そういえばかなり昔、音楽をやっていたころだ。友人のペンションかなんかの集まりで、藤原が作詞した「歌」を有線放送でリクエスト、みんなで聴こうという事になった。
誰かが「あと7曲目ですって」のようなことを言い、「楽しみ!」みたいなことを言いながら待った。 だが、曲が始まった頃には宴会になっており、誰も聴いていなかった(笑) モノを創る、その創り手になることはできるが、結果を喜ぶことができる、なんて本当にまれなことだよな。

今日は厚いセーターにふわふわダウンのような重装備で出かけて来たのに着こむと暑い! 昨日、一昨日、あんなに寒かったじゃないか! やれやれ、どうも「外す」なぁ ~ でも、暖かくていい天気だから、好きだなこんな日。

「力量の限界を超えなくてはいけない」

難しい注文かもしれない…し、当然かもしれない…し
でも、刺激的な番組だったな、僕には。


2013-11-12
「突き指」

もう3週間ほど前になるのだが、激しく右手の中指を突いた。 左手の指の骨折の経験があるから、骨折ではない、と自己判断。 それは正しかったのだが3週間たっても腫れがひかない…ので、昨日整形外科に出向いたら、靭帯が切れていて、出血の腫れだ、などと言われ…今更、大げさな金具のようなものを指にはめられた…3週間もたっているのに。 早く行けばよかった。

今日も病院に行ってきたのだが、外は寒いし、薄暗くなってきたし、一人で行くのは嫌だなぁ…でどうしたか?社員を二人「連行」したのだ。 自分の都合でお供をさせるなんて横暴!・? 違う違う、インフルエンザの予防接種に強引に連れて行ったのだ。 藤原は2日の日に早々と済ませたので、社員に接種の号令をかけたのだが、なかなか行かない。
毎年社員の予防接種を完了させるのに苦労する。インフルエンザに対して緊張感がないから、グズグズしていてなかなか行かないのだ。 だから、藤原が病院に行くついでに「連行」となった。 予防接種を「社長命令」としてあるのだが、どうも最近「命令」の効果が薄いようだ。 これで社内の5人が完了!あと半分だ。 やれやれ、こんなことでイラつくから、突き指したりするのだ!!!とここは人のせいにしておこう。

かなり酔っていて、自宅の階段でこけた。手に持っていた衣類を踏んで前のめり、痛かった~ 病院の先生も、かなり激しく突いたでしょ、と言ってたぐらいだから。
怪我をしたり、車をこすったり、そんなときは精神が不安定な時が多い。 「突き指」で済んでよかったってことだ。 大難が中難に、中難が小難に、そして小難が無難に、と願うとするか。

ああ、ペンが持ちにくい、ズボンの右ポケットに入れた小銭がとれない、ハンドル周りのあれこれに指の金具があたる、人差し指だけでキーボードを打つから、指の疲労・・・
(これ、笑いながら書いてんだけどね)


2013年10月

2013-10-31
「国立(くにたち)と田中ちゃん」

国立駅までは思っていたより結構遠かった。渋谷から乗り、新宿で乗り換えて国立へ。 何十年ぶりだろうか、国立駅に降り立ったのは。

昭和41年に、すぐ隣街にある「精神病院」に勤めていたことがあるから、昔の特徴的な駅舎は記憶がある。現在の駅は、その面影すらないけれど。 駅前から続く直線の道路は、その昔滑走路だったんだそうだ。そういえば真っ直ぐで長い。(長かった) 今どうなっているのか、見てこなかったが。
国立のどこかに、NHKの通信学園のようなものがあって、書類をもらいに行った記憶がある。 書類に健康診断書が必要と書かれてあり、300円程度が必要だった気がするが、その300円を躊躇しているあいだに時は過ぎ、結局通信教育を放棄した。
なぜ、国立まで行ったか?ここでようやく田中ちゃんが登場する。主治医の田中ちゃんだ。 彼の職場となる病院や住まいが、むこう方面で、「おいしい和食の店!」に招待されたからが、前にも「田中ちゃん」の事は書いたから、その2となる。 月一出張主治医とはなぜか気分が融合できる、そんな気がする。彼がどう思っているかは知らないけれど(笑)。
手作り創作料理だった。美味しかったし、雰囲気もいいものだから、なんと4時間もいた(ようだ)。 問題は、「田中ちゃん」があまり飲めないのに、藤原が飲み続けたことだ。そして、 今日の二日酔い。焼酎のあとに〆のつもりで飲んだ日本酒がいけなかったかな・・・

今朝、娘に、「酔っ払い!」と言われた。わかっちゃいるのに、また呑べぇの醜態をみせたのか・・・ さんざん不摂生をして、その主治医である「田中ちゃん」に土曜日、薬をもらいに行く。 主治医付きの「痛飲」と言うことで、飲み過ぎの反省は後回しにするか。
でも、お医者様の友人、知人がいるということは どこかに安心感がある。
ありがとう!そして、ごちそうになってしまった。ひとの勘定で飲みすぎてしまった。すまない!


2013-10-25
「7億円」

年末には7億円を手に入れる予定だから、きっとルンルン気分で正月を迎えられるんだ。 7億円もの現金をどう使おうかな…特別欲しいものないし、でも何かに使うんだよなぁ… スタッフAに7億入るから、100万円あげる、Bには30万円あげる、息子と娘には3万円ずつで… といったらスタッフの「ドケチ!」という言葉を期待したのに「ありがとうございます」と言われてしまって、大ぼらお楽しみタイムはあえなく撃沈!!! 7億か、でも、買わなきゃ当たらないよね。今年は買うか、少しは夢を見られる。

先日久々に徹夜をした。現場を出たのが朝7時40分ごろで、ベットに入ったのが9時ごろかな。 でも、結局2時間ほどしか眠ることができなかった。あぁ、しんどかった。 よーし、7億入ればこんな暮らししなくて済むぞ!とまだいう藤原。今年は買う!(笑)

スタッフのWがあまりに頑張るから、頑張りのご褒美に何か買ってあげなきゃね、と言ったら、「みんなも頑張っていますから」と言われてしまった。 これも、あえなく撃沈。 ちーっとみんな、まじめ過ぎるんじゃない、ちょっとぐらい弾けてぴょんぴょんしてよ!

娘が明日誕生日だから、今朝娘に「何か欲しいものがあったら買ってあげようか?」と言ったが特に何が欲しいとも言われなかった。ここでも、撃沈。

結局、7億を手にしても、大した使い道は無いのだ。(笑)

あれとあれと、それとこれ、ぐらい厄介な問題を抱えているのだが、逆に人前でテンションが上がる。 ま、そうでもしなければ、自分が撃沈、となるのも嫌だしね。 だから、また7億円の話に戻るのだが、宝くじは昔から結構夢を見られる。夢を見るというより、楽しい時間を作れる、ということかな。 この想像タイムは結構いいよ。 売り出しがいつからかは知らないが、前後賞合わせて7億円という新聞記事は読んだ。 よーし、俺のものだ。(笑・笑・笑) ほら、楽しい時間が作れた。


2013-10-21
「遠くへ行きたい」

同じ空の青さなのに、なんで空に秋を感じるのだろう。
雲の色だって同じなのに。
太陽光線の強弱のせいか?それとも、蝉が鳴いていないせいか? いずれにせよ、気温は下がり、夕暮れの時間が早くなり、木々もそれぞれ秋色だ。

昨日は久々に熱っぽく、腹の薬や風邪薬やいろいろ飲んだら次は胃痛で胃薬だった。 そんな中、身体に鞭打って編集に顔を出したのだが、スタッフも胃痛で苦しんでいた。 もう一人は何日も同じTシャツを着ていた気がする。上着もなく靴下の替えもなく。 つまり、何日も編集室に閉じこもりってわけだ。
仕事とはいえ、「ご苦労様」だけでは終われない、重苦しい場所と化してるね、「番組作り」。 彼らや彼女たちに、「笑顔だらけ」の時間をどうしたら提供できるんだか。 社内会議でいつも苦言を呈している社長だが、時々本気でみんなが気の毒に思えてくる。
そんなこんなで、少しばかり「どこかへ出かけたい病」が始まりかけている。
思いっきり、遠くへ行きたいなぁ…

今書いている台本の締め切りをスタッフに聞いたら、今日中とは言われなかった。 ということは、明日でもいいってことか?などと一瞬思ったとたん、明日回し!となる。 30秒分は書いた。今日は他の番組のナレーションも時間内にやったし、と言い訳が勝つ。
あぁ 遠くへいきたい。

もがき苦しんでいるスタッフの顔など忘れ、さっさと一人でどこかへ!(ははは)

外ではサイレンが鳴り響いている。社内では懐かしい「ウナ・セラ・ディ東京」がかかっている。 種々雑多、人それぞれ、秋の景色も一色とはいかないようだ。 「ウナ・セラ・ディ東京」は前回の東京オリンピックの年、昭和39年に流行った歌だ。 そしてみんなが「明日があるさ」と歌った。これも39年の歌だ。 「遠くへ行きたい」?これは何年に流行った歌だっけ?。


2013-10-15
「家族の光景」

一月ほど前、「有意義な親父を巡る旅だった」という文言で結ばれたメールが息子から来た。 唐突に、岩手の盛岡にある墓参りに行ったらしい。その帰り、唯一の母校である中学校に寄ったとある。 藤原が通った中学は移転し、校舎はいま取り壊し中と聞いていた。
メールには、父親の通った学校だからと工事関係者に伝え、無理に入れてもらったとあった。 そして、「藤原典男ごっこ」をした、とも書いてあった。
設定は、裏番長と言われていた典男が、ホームルームに遅刻する、というものだそうだ。 校庭を、校舎に向かって走ったのだろう。28歳になる息子は「楽しかった」とも書いてあった。

一人暮らしをしている息子とは、あれから何度か会っているのだが、このことを話題にしたことはない。 なんとなく、話題にしにくいのだ。照れてるわけではないが。 逆だな、話題にしたら、おれは泣くかもしれない・・・

娘のことは、何度もここに書いてきた。娘のことは話題にしやすく、書きやすい。 だが、なぜか、いや自然なのかもしれないが、息子のことを話題にするのは妙に気恥ずかしい。

自分の中で、親子や家族をテーマに考えることが多くなってきた気がする。 親の介護が現実になったせいだろうが、「人としての幸せ」も自分のテーマになってきた。

今日、スタッフはスタジオで森山良子さんの番組を収録している。 その森山さんの歌の中に「家族写真」という歌がある。松井五郎氏の作詞だが、素敵な詞だ。 ある意味、家族という形に失望して15歳で上京した自分が、しみじみ家族の光景を想う… なんて、・・・なんてね。

収録で皆留守だから、今日は、一人会社で28日収録分の他局の構成台本を書いている。 くたびれたから、中休みでここに来た。 外は雨。今夜から台風らしい。さて、彼らの弁当でも注文するとしよう。
「家族写真」か…


2013-10-11
「海老や~」

なんという種類か知らないが、我が家には愛犬のほかに「愛海老」がいる。 最初はシラスのように小さかったが、脱皮を繰り返し、随分とたくましく成長した。 指を水槽に入れると、ワシの指を餌と間違えるのか、食いついてくる。可愛い。 海老に声が振動して伝わるのだろうか?声をかけると、住処の中から出てくるのだ。 ほんとだよ。



海老を可愛いなどと思ったのは初めてだ。

20センチぐらいに育ったら食ってやる!と言っているのだが、情が移ってむりかなぁ……

突然だが、社員食堂を作ろうと思う。どこに?残念ながら社内にはスペースが無いからこのビルのすぐそばの地下に造ろうと思う。 物件と調理師などは確保した。メニューやテーブルなどもそこそこ揃っている。 あとの問題は、利用方法だけだなぁ…

名前はなんとしようかな。アズ別館食堂。いやいや アズ別館レストランかな。名前は何でもいい。 で、場所は?ははは、目の前にある渋谷公会堂の地下にある食堂を、アズ社員食堂と勝手に呼ぶのだ。

この場所で会社をはじめて20年になるが、目の前の区役所の下に大きな食堂のあることを今日初めて知った。 近いし、安いし、勝手に社員食堂にしようと思ったわけだが(笑) 因みに、メニューを少しリサーチしてきたが、エビ料理はなかった。 最高680円で290円からメニューがあった。 次から社員をランチに誘うときは、ここだ。
なんたって安いし、エビ料理がないし。


2013-10-07
「東京人のいらつき」

地方で運転したあと、東京に戻り運転すると、そのあまりの違いに今更ながら驚くことがある。 東京はイライラして運転している人間がいかに多いか、ということ。せっかちとか危険とか。 昨日も、北国からもどり羽田から首都高に乗ったとたん、暴走車が脇をすり抜けて行った。 続いて、右車線へ出た途端激しいクラクションとともに黒塗りのでかい車がすり抜けて行った。

どうしてみんなそんなにイライラしているの?と思わず口に出したほど。彼らはイラついている。 走り方が偉そうで横暴(笑) ま、若い頃は「右に同じ」的な部分は藤原にもあったが。

ドライバーの余裕と言う意味で感心したのはハワイ。ここはいい。知っている範囲ではね。 歩行者が見えると、ドライバーは本当にのんびり待っている。マナーと余裕を感じる。 沖縄も、車の運転に関してはあまりドライバーのイラつきを感じない。 暖かな土地柄と、東京のような瞬間的に暑い地域とは違うんだな、きっと。 それから、地方へ出かけたとき、のんびりと流れていく時間や環境を見る度に思うのは、 誰でも、どこでも、「同じ時間が流れていくんだなぁ」 ということ。 あくせくしても、のんびりしても、イライラしても、過ぎていく時間は同じだ、ということだ。 東京の豊かさや便利さなどとの引き替えに手に入れたものは、「失った心の余裕」なのかね。

かと言って余裕を求めて東京を離れて暮らすことができるか?これはあまり自信がないな。 なぜ?う~ん、せっかちだから。

さて、今日からまた一週間の始まりだ。いつものように新しい「花」が届き、仕事のあれこれを思うとき、 どこかにイライラを抱えている自分に気づく。 仕事をしたいのだが、エンジンがかからない。 これに関してはちっともせっかちではない。 いつものことだが、出だしが遅いのだ。
それに「イライラ」してるってか。


2013年9月

2013-09-19
「酒を想う」

最近酒量が随分減った気がする。なかなか酔わなくて、飲むのに飽きてしまう、てな感じ。 ハシゴもしなければ、もちろん泥酔もしないし、酔っ払いになれない酒は途中で嫌になるし。 夜中12時前に帰るやつは「ただの爺だ」と思っていたのはつい最近のような気がするのだが、12時過ぎてもまだ飲む、なんてことはとんとなくなってしまった。

だが、やはり毎日飲む。ただの惰性で飲んでるな、と思うことがある。
勢いがなぁ 勢いが欲しいよ(笑)

今日は収録で社内には誰もいない。現場はスタッフに任せるようにしているから俺は会社。 これがまた苦痛(笑)現場で仕切りたいタイプだから、じっとしていることが苦痛なのだ。 走り回って、怒鳴りまくって、大声出していたら、きっと酒も美味いんだろうが。 が、いつまでもそうはいかない … と自分に言い聞かせて … … いる。

先日、三浦しおん の「船を編む」を読んだ。旅にも行かずに結構速いペースで読んだのだが毎日深酒をしていたら読み切れなかったよなぁ。 あぁ 毎日毎晩ベロベロに酔っぱらっていたあの頃が懐かしい。

酒にまかせて悪いことも沢山したし。若気の至り、で済ませた悪行の数々!か (笑) 今更、若気の至りなどと、口が裂けても言えないし。 渋谷駅の近くの246にかかる歩道橋の上から、走って来る車めがけて小便した話、 先日久々に思い出した。 み~んな、若さと酒がストーリーを作った。
さて、スタジオに顔を出すとするか。


2013-09-08
「緊張」

オリンピック招致の結果が午前5時。
気にしながらベットに入ったのだが、今朝は4時25分に目が覚めた。
パソコンのテレビをつけたら、すでにカウントダウンが始まっている。
テレビ画面の中に居る人たちの緊張が伝わってくる。
観ているほうも緊張する。結局朝6時まで観てしまった。
駄目だったら、現地の彼らや彼女たちは、どんなコメントを用意しているのだろう… 背広の着こなしがどうも今一つと感じる猪瀬都知事はどんな弁明をするのだろう… プレゼンの様子も視聴していたから、大丈夫、とは思いつつも「駄目」な場合のほうに思考が行く…

先に「駄目な場合」を用意している思考回路のなんと脆弱なことか。

結果が発表されたその瞬間、画面の中の人たちと同じように、涙腺が緩んでしまった。 オリンピックか・・・あれからもう、50年にもなるのだ・・・ 初めて東京の街を目にしたその日、首都高速道路は建設中で、高いところに出来る道路に驚いた。 誕生日前なら、まだ13歳だったかもしれない。 その後14歳で一度家出をして上京し、結局15歳で東京に出てくるのだが。

昨夜はオリンピック関連の緊張の前に、もうひとつの緊張の瞬間があった。 娘が来春から就職する会社の研修で、アクセサリーやらバッグを販売する店舗に行っている。 早めの夕食で一本飲んでしまったワインの力を借りて、店舗がある某デパートに行ってみることに。 「遠くからちょっと様子を見るだけ・・・」のつもりが結局顔を合わすことになってしまった。 店のスタッフは「ピンクの上着を着た変なおじさんが居ると思った」と言ったとか言わないとか。

この時もなぜか「緊張」した。あとで娘にこうメールした。「ごめんね、ごめんなさい」。 「超過保護キャラ」と返信があったのだが、怒りのマークも、笑いのマークもなかったから、 父は「緊張」のまんま(笑)

招致の結果発表を待つスタジオの彼らや彼女らは、入試の結果を待つみたい、と何度も言った。 入試の経験が無い(笑)藤原はいちいちコメントに反応しながら、でも、やはり同じように緊張をした。 そして今日は、スタッフは皆外部仕事だから、誰もいない会社で一人、緊張から逃れている。


2013-09-05
「オリンピック」

東京オリンピックのあの時、中学2年生だった。
国道4号線を聖火が東京に向かい、我が矢巾村を通る区間で、伴走者グループの一員として走ったっけ。 あの頃、東京は遠い遠い都会だった。 2020年、またあのオリンピックを、この東京で見ることができるのだろうか。決まればいいね。

東京オリンピックが始まる直前、村中の電気屋(広い村だったので何件かあった)を回り、学校にテレビを貸してくれ、と一人で交渉に回った。 一件の電気屋だけ、学校にテレビを貸してくれた。 もちろん藤原のクラスに設置されたのだが、他のクラスのみんなに教室を入れ替わり立ち代わり明け渡したっけ。 なんで自分のクラスに設置することが許されたのか…今じゃきっと考えられない事だよね。いい時代だった。

本当にいい時代を生きてきたと思う。人々の人間関係にはぬくもりがあったし、歌で泣けた時代だ。 洗濯機や冷蔵庫に感動し、テレビにあこがれ、スターは雲の上の人で本当のスターだった。 モノの不足が次の希望に向かい、豊かさや「次」を求めることに知恵や工夫が活かされた。 思えば、ありがたい時代を生き、そのおかげでさまざまを経験できたのだ、とつくづく思う。

次の「東京オリンピック」の体験は、時代を比較体験できるは最適なイベンだと思う。招致できたら…
2020年でも、俺は幾つになっているのかな…などと年齢を心配してしまうのは俺だけか? 次回になってしまったら、俺は元気なままで存在しているのだろうか…などと思うのは俺だけか? 俺より少し上の世代は、東京オリンピックは「生きている間に…」になってしまう(笑)

スポーツには、無条件で感動場面に出会える力と魅力がある。 中学生だったあの時のオリンピック、自宅にテレビなどなかった。感動はやや遠くにあった。 今でも藤原はスポーツ音痴だし、詳しくもなく、ルールも知らないが、感動はできる。

「東京五輪音頭」の替わりの歌と音楽は、どんなサウンドで、誰が歌うんだろうね。